西蓮峡観光スポット

オープン時間:AM8:00—PM6:00

所属の景勝地:西蓮遊覧エリア

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主要なスポット:

長春潭君子潭荷和潭天壺の滝天梯※空中階段浄友潭玉環潭
0373-6699201
観光地の展示

遊覧エリア二級観光客サービスセンター ここは三面山に面している。西は龍盤峰に面する。北は坐仏嶺に面し、嶺の裏に劉秀城がある。東は虎背嶺に面し、嶺の裏にある山峰は望城峰という。更に奥へ進むと、西蓮峡と関後溝という2つの渓流に出会う。2つの渓流はここで合流し、古き石門河へ流れていく。石門河は衛河の主な源の一つだ。

 

ここは風水の良い場所だ。言い伝えでは、北宋の著名な性理学者と数学者である邵康節は、占いに精通し、風水学に長けるという。ある時、隠居している百泉からここに来た彼は、辺りを見回したら、「どうりで劉秀は何度もここで難を逃れた後、帝位まで登ったんだ。ここは竜穴と虎穴と神仏の加護が揃っっている地だからだ。」と驚嘆したそうだ。

 

二龍嘴橋 この橋から東にある巨石の景観をご覧ください。虎に似るとも、獅子に似るとも言われるこの石は、「臥虎救命石」と呼ばれている。言い伝えでは、西漢の末期に、帝位を簒奪した王莽は、横暴に富を巻き上げ、荒淫の限りを尽くし、民衆の強い反発を買った。立て続けに緑林蜂起と赤眉蜂起が起こった。当時、都で勉強している漢の宗室である劉秀は、あちこちの豪傑と連絡を取り、王莽政権を倒そうと隙を伺っていた。その事に気付いた王莽は、すぐ討ち取りに官軍を派遣した。未だ力の足りなかった劉秀は、慌てて都を脱出し、太行山脈を沿って仲間を集めることにした。ある日、西蓮まで辿り着いた劉秀は、飢えと疲れで、ある木の下に倒れて気を失った。そこへ、北の崖下から、一匹の餓狼が来て、劉秀に飛び付こうとしたところ、猛虎の雄叫びが餓狼を気絶させ、劉秀を救った。そして、向こうの崖上をご覧ください。そこには狼の頭が今でも残っているよ!あれがあの時に気絶させられた餓狼だという。虎も石に化した。噂では、この臥虎石はなかなかご利益があって、虎の頭に乗れば、肝が据わるようになるそうだ。災いから免れられると言う者も居る。橋の上から北を見ると、聳え立つ山峰が見える。山峰の向こうは劉秀城がある。迫力のある山峰の上から俯瞰すると、2本の巨龍のように蜿蜒と流れる関後溝と西蓮峡は、ここで合流している。橋の袂にある一枚一枚の白い石とこの橋は、口を開けて顔を見合わせる2つの龍の頭と似ている。この景色は「二龍嘴橋」と名付けられている。

 

西蓮峡 二龍嘴橋から先は、西蓮峡に入る。西蓮峡は、二龍嘴橋から西蓮遊覧エリアまでで、長さ8キロもあり、峡の中に奇石が聳え立つ。渓流は、峡谷の山道を沿ってくねり曲がり、東岸、五里窯、碾平といった小さい山村を通り、更に「老梯口」と「天門口」を通って、空中階段に到達する。空中階段より西は、西蓮峡の自然景色の精華区域だ。

 

西蓮峡は、峡谷の始まる所が西蓮村だから名付けられた。できるだけ早く自然景色の精華区域に着くために、途中で停車しないことにした。皆さんは窓越しに途中の景色を楽しんでください。

 

西蓮峡では、四季の景色が異なる。

 

春、木々は蘇り、緑色になって美しさを競う。花は香り、鳥は囀る。

 

夏、水が多くて緑一色になる。気温が涼しく、水遊びと避暑をするのに一番いい。

 

秋、ここの赤い石、赤い樹葉、赤いサンザシ、赤い柿は山一面に広がり、青い空と白い雲と相まって引き立てられ、爽やかな気分になる。

 

冬、崖の至る所は凍り付き、渓流は氷の下をゆっくりと流れる。雪原の中の秀峰、疎らの屋根、枝の上の氷霜は、詩にも絵にもなる。

 

西蓮の美しさは、少なからずの文人墨客に賞嘆されている。ここで、西蓮を賛美する古人の詩を一首朗読して、旅途中で皆さんに楽しんで頂きたい。

 

帰崖蜿蜒尾東蟠、撲面相映尽大観。

数里崖分成巨壑、千尋水立堕驚湍。

乍晴峯自運中出、既夏衣从峡里寒。

応識山霊留客意、濛濛細雨湿前灘。

 

九蓮潭 ここからは九蓮潭をご案内する。九蓮潭とは、九つの潭が連なっているという意味だ。九蓮潭の「レン」は、蓮のレンだ。言い伝えでは、この九つの潭の名前は、明朝万歴帝の母親によって付けられたそうだ。

 

万歴帝の母親・慈聖皇太后は、宮中では「九蓮菩薩」と自称していた。輝県に九蓮山があり、山の中に西蓮寺はあり、寺の中に九蓮老母が祭られている上、「九蓮老母灯油聖会」というものまであると聞いた彼女は、どうしてもお参りに行こうという気になった。明くる年の九蓮老母灯油聖会の時に、彼女は宮女と太監を引き連れ、百姓に装って九蓮山まで御出でになった。九蓮潭を見てから、まだ名前が付けられていないことを知って、先に滝下の潭に荷和潭という名前を授け、更に、他の八つの潭を順に芙蓉潭、菡萏潭、水芸潭、水芝潭、君子潭、長春潭、玉環潭、浄友潭と名付けた。

 

浄友潭 蓮の花は浄友花とも呼ばれ、浄友は蓮の花の別称だ。泥の中で育ったが汚されることのない蓮の花は、きれいで霊感があって、神仏の象徴であり、世俗と不浄の泥濘みの中から超越した純潔と円満を代表するため、諸仏と菩薩の宝座の多くは蓮の花になっている。我が国の古代文人の多くは、蓮の花を友と称していた。慈聖皇太后はそのことから、九蓮山の9つ目の潭に、「浄友潭」と言う名を授けた。

 

浄友潭の上方は、幅が十数メートルのカスケードで、水がさらさらと流れ落ち、飛沫が飛び散る。起伏する岩石に阻まれ、海潮のように降り注ぐカスケードに、さらさらと流れる水の柔らかい美しさもあれば、怒涛のような波飛沫もある。ここに来ると、立ち止って観賞したり、記念写真を取ったりする観光客は少なくない。では、少し止まろう。記念写真の撮りたい方は、潭の前の岩上に立つか座るかにして、楽しく写真を取ろう!だが、身の安全には十分ご注意ください。

 

玉環潭 この潭は玉環潭という。蓮の花の別名で名付けられ、九蓮潭で8つ目の潭だ。玉環とは、唐玄宗の愛妃・楊玉環のことだ。楊玉環は、中国歴史上の四大美女の一人で、花も恥じらう容貌を持つ。何ゆえ蓮の花は玉環花とも呼ばれているだろうか?言い伝えでは、楊玉環は唐玄宗の機嫌を取るため、何の花が一番美しいと唐玄宗に尋ねると、唐玄宗は考えもせずに蓮の花と言った。楊玉環は蓮の花と美しさを比べたいと言い出す。ある日、厚化粧した楊玉環は、唐玄宗と一緒に後宮の蓮池に来た。池の中に、満開の蓮の花が咲き乱れている。楊玉環は船に乗って水中から蓮の花を1本摘み取り、自分と蓮の花とどっちが美しいと唐玄宗に尋ねた。唐玄宗が見比べているうちに、なんとあの蓮の花の花びらが枯れてしまった。「ほほう、やはり愛妃の方が美しいね!」と彼は思わず声をあげた。それでも蓮の花を愛してやまない唐玄宗は更に、「これから、蓮の花を玉環花と名付けよう!」と言った。その時から、玉環は蓮の花の別称になった。

 

長春潭 九蓮山の7号潭は、長春花に因んで名づけられた。なぜ蓮の花は長春花とも呼ばれているだろう?蓮の花が満開の時に、葉は碧玉盤の如く、茎は緑翠柱の如く、花は水を出ずる芙蓉の如く、清い香りは遠くまで漂っていく。そして、花の裏に真珠のような蓮の実が捧げ持たれている。蓮の実は栄養豊富で、地下茎の蓮根は甘くてパリッとする。蓮全体は宝物で、薬用価値が高く、全株薬にすることができ、清涼解熱と暑気払いの理想的食品だ。蓮の実は高級栄養補助食品だ。蓮の実を食用することで、健康作り・美容・長寿の効果がある。よく蓮根を食べると、肌が蓮根のように白くてキメ細かくなる。故に、蓮の花には長春花という別名もある。

 

君子潭 6号潭の名は、君子潭という。君子花も蓮の花の別名だ。北宋の性理学者・周敦頤が『愛蓮説』の中で。蓮の花を「蓮とは、花の君子なり。」と賛美したことから由来する。勿論、歴代の文人墨客が蓮の花を君子と讃える詩文は他にも沢山ある。嘗て、民間では陰暦の六月二十四日を蓮の花の誕生身に決めたことがあった。蓮の花は君子の象徴とされていることから、君子花という別称を持った。

 

水芝潭、水芸潭 水芝潭、水芸潭は5号潭と4号潭だ。水芝花、水芸花も蓮の花の別名である。周知のように、蓮はスイレン科の多年生水草だ。古人が蓮を水草類に分類したため、蓮の花は、水芝花や水芸花といった「水」文字で始まる幾つかの別名を持った。三国時代の文学者・曹植はその『芙蓉賦』で、蓮の花を水中の霊芝に比喩した。

 

菡萏潭、芙蓉潭 3号潭と2号潭は、それぞれ菡萏潭、芙蓉潭と呼ばれている。菡萏も芙蓉も蓮の花の別称であることは、よく知られているが、その由来を知っている者は少ないだろう。この二つの名前の出所はどこだろう?それは、『説文解字』の中にある、「蕾のものを菡萏と言い、花の咲いたものを芙蓉と言う。」という蓮に関する説明だ。嘗て、漢代の文学者・司馬相如は、妻の卓文君を水から出ずる芙蓉と比喩した。宋代の大文学者・蘇軾は、「千株掃作一番蔓、只有芙蓉独自芳。」と詩の中で蓮の花を詠った。名人達の名作で重ね重ね蓮の花を菡萏や芙蓉と称したため、蓮の花がそういった別称を持ったのも無理はなかった。

 

荷和潭 ここは九蓮山の1号潭で、荷和潭という。荷花と蓮の花は、同じ花の二通りの名前だ。荷は即ち蓮、蓮は即ち荷だ。荷花の「荷」は和平の「和」と、蓮の花の「蓮」は聨合の「聯」と発音が同じなので、中国の伝統文化では、いつも荷花と蓮の花を平和・調和・協力・力合せ・団結・聨合の証にしている。

 

荷和潭の傍に来た皆さんの会話に花を咲かせ、親しみ深い様子は、「天人合一」の絵になる。「天人合一」とは、人と自然の調和を追求することである。ここに来た目的は、身も心もこの自然の山水に溶け込み、この「荷和」の絵巻の中に溶け込むことだ。

 

天壺の滝 荷和潭の上方は天壺の滝だ。滝の上方は茶壺の形した大きい潭だ。言い伝えでは、九蓮老母は旱魃解消のために、壺に水を入れて地上に雨水を撒いた後、壺をここに捨てたので、壺状の潭になった。滝は壺口から噴出しているため、天壺瀑布と呼ばれるようになった。落差100メートルの滝が怒涛のように流れ落ちるその勢いに、「銀河が落ちたかと思われる」豪快さもあれば、霧とも雨とも風とも感じられる柔らかさがある。

 

天梯※空中階段 天壺の滝を観賞した後、道標に従って歩道を行くと、天梯を登ることになる。天梯には計999段の階段があって、ここは200段目で、ここから上まで更に799段ある。天梯の中間辺りに石碑がある。既に碑文はぼんやりしているが、天梯の由来をはっきり記載している。登山の信者と観光客は、この階段を空中階段と呼んでいる。天梯に登り切った後、後ろを振り向くと、既に麓は足元のずっと下方にある。この天梯は新近梯と呼ばれている。東へ10数里の所にも登山道があって、階段が狭くて険しく、登るのに大変危険だ。昔、山の上に住む山民達は山を上り下りするのに、その旧遠梯を呼ばれる階段を使っていた。今やその階段はほぼ使われなくなったが、登山族や旅族、冒険族だけが、昔の山民達の登山していた時の辛い思いを味わいたくて、今でもそこを登っている。旧遠梯と新近梯は遠く離れて呼応する。新近梯は、1972年に、12名の百姓が146日掛けて、昼夜問わずに奮戦した末に完成された。あの時、ハイテックの機械設備もなければ資金援助もなく、僅か12人で、僅か146日で、両手と鉄槌と鉄杭で、玉蜀黍饅頭と粉汁を食べて、ちゃんとした服も食事もなかった情況で、この登山道を作り出した。それはなんという壮絶さ、なんという気迫と度胸だろう。これは、正に輝県人民の天地を相手に戦う英雄的写照だ!


八里溝観光エリアからのお願い
チケット予約案内

有効期限: 電子チケットは1週間

予約説明:毎日08:00-18:00入場することができる。

購入時間:当日の8:00以前にご購入ください。8:00過ぎご購入された方は、4時間後の入場となる。

使用方法:QRコードでチケットを発行してもらってから、入場する。

発行時間:08:00-18:00

受渡場所:観光エリアのチケット売り場にて

入場地点:河南省新郷市輝県市上八里鎮松樹坪村観光エリア入り口

その他の注意事項

A.無料政策:身長1.4m未満の子供は、入場料無料。70歳以上の関連証明書を持つ高齢者は、入場料無料。軍官証を持つ現役軍人、並びに関連証明書を持つ身体障害者と新聞記者(国家新聞出版総署が認証した記者証を持つ)は、入場料無料。

B.優待政策:大中専院校の在校学生や留学生、60歳-70歳の高齢者(離休幹部を含む)は、身分証明書で観光エリアにて優待券を購入することができる。

安全

旅に出かける際、固形食と水と運動靴をお持ちください。随時天気予報に気を配ること。夏場に登山している時に汗が出る。水分を十分に補給しなければ、熱中症になり易いため、十分の水を持参すること。両手を安全保障に使えるように手提げ鞄を使わずに、リュックを使ってください。歩く時に景色を見ず、景色を見る時に歩かず、見所を見逃さず、普通の景色に執着しないこと。不慮の事故に備えて、険しいスポットや崖の傍で写真を撮らないでください。

旅に出かける際、雨具をご用意ください。旅途中のホテルにチェックインした後、適切に貴重品を管理すること。

観光シーズンで観光用レストランで食事をする時に、観光客が大勢いるため、手荷物の管理を怠らずに、安全にご注意ください。

遊覧船に乗る場合、安全にご注意ください、特に子供連れの観光客は、お子さんから目を離さないでください。

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