小西天観光スポット

オープン時間:AM8:00—PM6:00

所属の景勝地:西蓮遊覧エリア

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主要なスポット:

通慧橋西蓮寺斜山門大雄宝殿大悲殿
0373-6699201
観光地の展示

通慧橋 「通慧橋」は名の通り、智慧へ通ずる橋だ。皆さんはもっと知恵を持ち、もっと頭が良くなりたいのなら、橋を往復して何回も渡るといい。

 

ここが名を広く知られ、特に河南・山東・山西・河北の界で名を轟かせ、信者が多く、ご利益のある西蓮寺だ。西蓮寺は、典型的な女性の神が祭られている廟宇だ。ご興味のある方は、遊覧している時に、各殿堂に祭られている大小の神像を数えてみるといい。女性の神は一体何体祭られているだろう?

 

西蓮寺 西蓮寺は、東漢の時に創建された。西蓮寺は大きくないが、三大奇観がある。皆さんは庭に立って回りをご覧ください。他の廟宇とどこか違う所はないか。この廟の山門は、その後ろの大殿の向きと合っていなく、ややずれている。これが西蓮寺の斜山門だ。廟宇を沢山見た観光客は分かると思うが、廟宇の山門も、その中の殿堂も同じ中心線の上で建てられるはずだ。ところが、西蓮寺の山門は殿堂の向きからずれている。これが西蓮寺の第一奇観となった。

 

斜山門 斜山門は西蓮寺の第一奇観だが、斜山門の上に、更に観音閣が造られた。掟では、山門の上は殿堂を造らないことになっている。山門の上に殿堂を造る廟宇は滅多にない。ところが、ここの山門の上に観音閣が造られた。しかも北向きの逆向き観音だ。これが西蓮寺の第二奇観となった。

 

西蓮寺は俗神信仰の廟宇だ。仏・道・儒の神が同じ廟宇で祭られているのは、全国的にも多く見られない。これは、民衆の神に対する崇拝は派閥に寄らずに、気候は穏やか、国は安泰、民は安らぎ、家庭は幸せ、民は健康であるようにご加護してくだされば、百姓は必ずその神に敬意を払い、お香を焚いてその前にひれ伏すということになる。

 

西蓮寺は九蓮台の上に建てられ、九蓮捧聖という千古奇観を成す。西蓮寺は三つの部分からなる。一つ目は、この五進院落の殿堂、二つ目は、200段の蓮馨梯を登った所にあり、三軒の殿堂からなる西崖上の老母殿、三つ目は、廟宇の裏にある蓮花洞だ。

 

大雄宝殿 ここは大雄宝殿で、釈迦牟尼が祭られている。西蓮寺創建の時に、釈迦牟尼を祭っていなかった。武則天が増築の勅命を下した時から、釈迦牟尼を祭るようになり、今に至った。

 

では、ここの「身代り奉神」という慣わしをご紹介しよう。頭を上げてご覧ください。この棚の上に、背中に名前を書かれた泥人形か木彫りの人像が沢山ある。これは、敬虔を示すために、これ等の像を自分の身代わりにして、昼夜問わずに神仏の傍に仕えさせ、そして、健康と平安であり、万事順調であり、子宝に恵まれ、お金が儲かり、官位があがるよう神にご加護を祈る。西蓮寺の「身代り奉神」という慣わしには長い歴史がある。代々の信者の言い伝えによると、身代り奉神は東漢に始まり、劉秀と関わりがあるという。王莽の官兵に命を狙われる劉秀は、九蓮山に逃げ込んだ後、数回危ない目に遭ったが、地元の山民や姿の現した九蓮老母に救われた。劉秀は帝位に上ってから、ここで命を救われた恩を忘れず、西蓮寺を建てて九蓮老母を供養し、中蓮後静宮を建てて、救ってくれた山民の安らぎの場所にするようと勅を下した。当時、山の上に食べ物も照明器具もなかった。劉秀は妻の陰麗華に百姓に装わせ、人を引き連れて登山し、食べ物と供養の灯油を送ってきた。これが「九蓮老母灯油聖会」という慣わしの始まりだ。劉秀は自分の身份が邪魔で滅多に来れない。皇后の陰麗華も体が弱いため、よく来ることができないので、劉秀は自分とそっくりの人を見つけ、自分の身代わりとして山頂に派遣し、常に九蓮老母の傍に仕えさせることで、真心で供養し、命を助けられたご恩を忘れないという自分の気持ちを示した。皇后の陰麗華もこれに真似し、自分とそっくりの宮女を見つけ、自分の身代わりとして九蓮老母に仕えさせた。噂が広まると、百姓達はこぞって真似する。百姓には本物の人間を自分の身代わりにすることできないので、泥人形や木彫り、石彫りの人像を身代わりに立て、その上に自分の名前を書き、自分に代わって昼夜問わずに九蓮老母に仕えさせ、平安と幸せを祈った。のち、供養の身代わり像は、各殿堂の中に置かれ、跪いたり、立ったり、拝んだりして、人々の注目を集める景観になった。残念なことに、激動の時代の中で、あの身代わり達は一掃されて行方知れずとなった。最近になって、この独特な習わしが徐々に受け継がれるようになった。言い伝えでは、この身代わり達は、自分の「前世」、「来生」と出会うことを玉皇大帝に許可されたそうだ。言い伝えは本当かどうかはともかく、人々の素敵な願いであることは確かだ。ご興味があれば、身代わりを買うといい。健康と平安、家庭内の調和を祈るなら、女性神殿に置くといい。「前世」と「来生」の平安と幸せを祈るなら、地藏王殿に置くといい。ここの大雄宝殿や九蓮老母殿に置いたら、すべての願いが達成されることになる。

 

大悲殿 ここは大悲殿になる。ここには千手千眼観世音菩薩が供養されている。千手千眼観音は大悲観音とも呼ばれている。中国では千手千眼観音を崇める歴史は長い。千手千眼観音を供養すれば、災難を防ぎ、慈悲心を起こし、邪悪を降服することができる。観世音菩薩には沢山の化身がある。この殿堂で観世音の化身が33体祭られている。真ん中は千手千眼観音で、階上と階下の壁に他にも32体の観音が祭られている。千手観音は妙荘王の三女で、名は妙善。どうしても嫁に行きたくない三女の妙善は、出家して修行し、菩薩になった。妙荘王は怒った勢いで妙善を王宮から追い出した。のち、妙荘王が悪疾に罹患し、死にそうになった。三女の妙善は父親を助けるために、手を切断し、目玉を抉り取って薬にし、父妙荘王の命を救った。自分を救うために三女が手と目を犠牲にしたと知った妙荘王は、大変に悲しみ、女に千手と千眼生えるようにと上天に祈願した。後に、妙善は本当に千手千眼が生えた。大悲殿に祭られている神仏は、中国の伝統にある子の孝と父の愛という文化の精粋を存分に表した。

 

大悲殿の中に、仏前灯が供えられている。記録によると、この習わしには既に百余年の歴史があるという。仏前に供えられる灯は、智慧と善行を象徴し、光明を象徴する。長寿灯を供えれば、健康と長寿をご加護してくれる。智慧灯を供えれば、大智獲得と学業成就をご加護してくれる。平安灯を供えれば、交通安全と家族安泰をご加護してくれる。富貴灯を供えれば、財運長久と諸願成就をご加護してくれる。噂では、ここの仏前灯はとても霊験あらたかだそうだ。本当かどうかは、お試しになればお分かりになるだろう。

 

十二老母殿 今ご覧になっているのは十二老母殿と言って、民間の女性俗神が12体祭られている。この12体の女神は、婦人・児童・婚姻・家庭といった様々な人間界の事を司っている。特に一言言いたいのは、河南・山東・河北・山西4省の境という幅広い地域に、十二老母の祭られている廟堂は沢山あるが、この十二老母の経歴と役割関する記録は、中国の神譜に殆どないということだ。だが、十二老母には沢山の信者がいる。今までの関連調査によると、一番最初に十二老母を供養し始めるのは、西蓮寺だという。西蓮寺が一番最初に12体の女性俗神を1つの殿堂に供養した後、各地はそれを真似て、十二老母を供養するために、十二老母殿を建てたそうだ。

 

十二老母は一体誰だろう?各地の廟宇に供養される本尊は多少異なるが、西蓮寺に供養されているのは、それぞれ西天老母とその背後の観音老母、左側の无声老母・泰山老母・送子老母・金身老母・出山老母、右側の劈山老母・托天老母・文殊老母・普賢老母・地藏老母である。

 

十二老母に対し、信者達は非常に敬虔である。九蓮山には、

小黄豆、丸又丸、磨的豆腐似白蓮。

金鍋炒、銀鍋煎、豆腐煎成荷花鮮。

荷花白蓮人喜歓、供在老母神像前。

十二老母ハハ笑、一年四季保平安。

という男女信者の十二老母に対する崇拝を十分に表している民謡がある。

 

12体の女神が和気藹々と一室の中で暮らし、気候順調・国泰民安・無病息災・平安吉祥を共にご加護する光景は、他の寺廟では滅多に見れない。この殿堂に、もっと珍しい物語がある。西側の壁画「十二老母救包公」をご覧ください。この壁画に書かれている伝説は、ここにしか記録されていない。言い伝えでは、包公は勢力任せの某殺人事件を裁くために、今の輝県にある包公廟村にきた。殺人者は地元の富豪で、その3人の息子は共に都で官職に就き、皇室とまで少し縁を持つ。人を殺めた富豪はそれを盾に、見下した態度をとる上、公然と包公を閉じ込め、秘密裏に殺してしまおうと考えた。それを知った西蓮寺の十二老母は、速やかに西蓮山を下り、協力して包公を助け出した。事件の真相をハッキリした包公は、殺人者の富豪を鍘刀で処刑した。のち、人々はそれを記念して、十二老母殿の壁に「十二老母救包公」の壁画を描いた。

 

原始信仰園 今目の前にあるのは原始信仰園だ。九蓮山観光エリアは、信者達の信仰上のニーズに応えるために、この原始信仰園を造り、西蓮寺の俗神伝統における信仰的慣わしを再現した。ここの殿堂は三清殿と南頂祖師殿からなる。殿堂と園内における信者達のすべての信仰的行為は、見せ掛けではなく、男女の信者達が日常的に行っているものだ。

 

少なからずの人は、1本か2本か3本のペンで紙に何か書いている。民間的に、これは天書描きと呼ばれている。描く者達はこれを「写帳」や「画基」と自称するが、道教では、これを符篆という。写帳者はとても敬虔であると同時に、とても大変であり、ほぼ毎日のように神案の前に座って字を書いたり、絵を描いたりする。ぶ厚く溜まったら、燃やして天神に交帳することになっている。その者達は何を書き、何を描き、どうやって読むかと言ったら、それは部外者に言ってはいけないという天意だ。西蓮寺にあるこの信仰的慣わしの由来、その内容とは何か、その読み方は如何にといった問題は、専門家達の研究テーマで、一般人には理解できる物じゃない。

 

また、ここの伝話、打嗝受令、ないし神前での読経と哭訴は、いずれも混じり気のない民間信仰的慣わしだ。ここを通して、先人の残してきた信仰文化を知り、信者達の信仰的心理を研究することができる。これ等の独特な信仰的慣わしに興味を持つ方なら、よく西蓮寺にいらして討論と研究をするといい。

 

過仙橋 この小橋は目立たなく、何の特徴もないが、「過仙橋」という聞こえのいい名前を持っている。以前にあった古い橋は、岩を橋脚にし、渓流の上に大きな丸太を数本かけてできた橋だった。観光客達の安全と便利を図って、新たにこの橋を造ったが、依然として昔の名前を使っている。橋の上から、峡谷の秀麗な風光や、連なる滝と潭を眺めることができる。言い伝えでは、西蓮寺の女神達は、よくこの橋を渡り、峡谷の渓流に入浴するという。その話に因んで、この橋は過仙橋と名付けられた。

 

仙脂峡 過仙橋を渡った所にある峡谷は、仙脂峡という。言い伝えでは、嘗て王母娘娘と九蓮老母はここでお化粧をしていた時、不注意で化粧箱をひっくり返し、白粉を峡谷に撒き込んだため、峡谷に鮮やかで綺麗な色が現われるようになったという。人々はその話に因んでここを仙脂峡と呼ぶことにした。

 

通慧橋を渡ったら、周りの山をご覧になって、山峰が幾つあるか数えてみてください。全部で9つある。9つの山峰が寄り添い、満開した蓮の花の形になって、すらりとしている。お分かりかな、九蓮山という名前の由来を。

 

滴水崖 滴水崖はその名の通り、崖から水が滴っている。この山の岩は鉄が多く含まれるため、赤くなっている。遠くから、さらさらと流れる水の音が聞こえてくる。点石歩道を通り、銀色の水光が一面見える所は、鏡池だ。言い伝えでは、嘗て九蓮老母と女神達は、この池を鏡にしてお化粧したという。池の水は澄んで底まで見える。両側の崖と樹木の倒影もはっきり見え、まるで巨大な鏡のようだ。皆さんも池の前に立って自分の倒影をご覧ください。神々の姿が見えたりしない?

 

天孕潭 今着いた所は、天孕潭という。東側の滝は鳳の滝と言って、北側にある龍の滝と呼応し、九蓮山で最も特徴的な景観だ。鳳の滝の下にある池は洗手池と、龍の滝の下にある池は濯足池と呼ばれている。言い伝えでは、昔ある兄弟の嫁は、結婚してから何年経っても子宝に恵まれなかった。その後、義姉の方は、知らないうちに東の池で手を洗ってから、懐妊して娘を産んだ。義妹の方は、北の池で足を洗ってから、懐妊して息子を産んだ。そのことで、多くの人達はここに訪れ、娘を求める者は手を洗い、息子を求める者は足を洗っている。2つの滝もこれに因んで名付けられたという。この言い伝えは、素敵な願いを山水に託すという百姓の習慣的心理を十分に表している。

 

演水壁 今目の前に見えるのは演水壁だ。壁から水が止まらずに漏れ落ちている。旱魃の時に水の量は少なく、冠水の時に多い。ここで活躍の舞台を得た水は、軽やかに踊ったり、笑顔で唄ったり、思う存分に演出し、たとえ冬にも、氷柱になって壮観な美景を見せる。演水壁の上に、1本の紅豆杉が生えている。紅豆杉をご存知の方は、探して見るといい。紅豆杉は、国家一級保護樹種だ。紅豆杉の実が南国の海紅豆と似ているため、紅豆杉と名付けられた。紅豆杉は、既に地球上で250余万年生息し、「風水神樹」と称され、大変貴重な樹種であり、世界的に認められる抗がん剤を作り出すことができ、利尿消腫、腎臓病や糖尿病などの治療において不思議な効果がある。

 

遊龍戯水※水で戯れる龍 ここの山峰は奇特で雄大で、植被は茂り、碧潭は澄んで底が見え、絶壁の岩は秀麗で、この神工鬼斧によって彫刻された景色をよく吟味すると、まるで大きな江南庭園の盆栽だ。吊り下がる鍾乳石は、水の中へ伸ばしていく龍の頭に見える。2本の渓流はさらさらと龍の頭から碧潭の中に流れ込み、水で戯れる龍にそっくりだ。

 

古桟道 遊龍戯水を過ぎると、目の前に現れたのは、「古桟道」という河に流されてできた平台だ。切り立つこの岩壁の下に、長さ約150メートルの通路がある。岩壁のあちこちに残された痕跡から見ると、まるで古人の造った桟道に見える。この絶壁にある古い長廊のような桟道を散策すれば、赤崖、碧水、青空を観賞することができる上、石英岩の斜交層理、層面の漣痕、亀裂構造などの地貌からなる天然地質の景観を観賞することもできる。

 

里旮旯※旮旯:隅っこ 古い桟道を沿って歩いていくと、地元の俗称で言う「里旮旯」に着く。「里旮旯」で道が分かれる。一本は原始林へ通ずる。もう一本は「重生路」と言って、蓮花洞へ通ずる。重生路は、元々崖の上にある自然の細い道である。草叢や乱石を通るこの道は、時折り雑草や灌木の茂みに遮断され、垂直に上り下りする所も少なくなくないため、とても歩き辛い。道脇の崖に楡の木が連なり、まるで盆栽に見える。昔、重生路は行き止まりで、山羊飼いとその山羊の群れしか通れないと山民に思われていたため、普段は誰もそこを通ろうとしなかった。今や重生路は整備され、蓮花洞へ直通する歩道ができた。今、重生路を歩く時に、もう危険を感じることはない。道は木々に覆われて、とても涼しい。そこを歩くと、常に気分爽快だ。

 

三将棺 三将棺は、蓮花洞へ行くのに通らなければならない場所だ。言い伝えでは、嘗て楊門女将・穆桂英が元帥として遼兵を抗戦する時、双方は輝県の洪洲で陣を構え、決戦に臨んだ。穆桂英は遼兵の兵力を分散させ、小勢で敵の大軍に勝つために、馬の尾に箒を縛りつけ、西へ埃を巻き起こして遼兵が兵力を分散するように誘導せよと三名の将官に命じた。遼兵は一部の兵力を割いてその後を追うことにした。すぐ騙されたと気づいた遼兵は、怒り心頭となって必死に後を追い、どうしても三名の将官を生け捕りにしようとする。九蓮山の山頂まで追い詰められた三名の将官は、毅然と崖から飛び降りた。この楊家三将官の遺体を見つけた地元の百姓は、三人が大往生できるよう九蓮老母に祈った。九蓮老母は石を棺に変化させ、三将官を石棺に手厚く収容し、この場所に埋葬した。ここにお参りに来る者は特に多い。蓮花洞に来る参詣者は、みんなここで焼香し参拝した。これは、百姓達の楊家将に対する敬意と偲ぶ気持ちだ。

 

九蓮老母宮 九蓮老母宮には九蓮山小西天の主神・九蓮老母が祭られている。ここは、元々小さい洞窟に過ぎず、九蓮老母の修行する所だったと言い伝えられている。今の宮殿は、参拝客の要望に応じて造り直したものだ。この殿堂は、西蓮寺の建筑技術の最高水準を代表する。門楼の彩色絵は、省級民間工芸大師が自ら描いたものだ。殿堂の中に祭られる九蓮老母の神像は、西蓮寺初の木彫像で、国連教育科学文化機関に認められた世界でトップレベルの民間工芸品の彫刻家が自ら彫刻した物だ。神像は高さが1.99メートル、幅が1.69メートル、穏やか、眉目秀麗で、生き生きとして、極めて価値のある芸術品だ。

 

令箭石 ご覧ください。前方にある山から飛び出そうな細長い岩が、令箭石だ。言い伝えでは、嘗て穆桂英はここで将官を命令しながら布陣練習をしていた。令箭石は、即ち穆桂英が将官に命令を下す時に使っていた令箭から変化した物だ。信者達がここで穆桂英の神位を安置していることから、地元の百姓は楊家の英雄をどんなに尊敬しているか分かる。

 

蓮花洞 蓮花洞は、長年水が流れ続けているため、水簾洞をも呼ばれている。洞の一番奥に水源があり、その深さは1メートル以上ある。洞の奥行きと水源の水量について、専門業者の更なる測定を待つ。夏、洞の中は身に沁みるほど涼しく、洞口へ吹いていくすっきりとする風に伴われて、実に気持ちがいい。噂によると、蓮花洞の中の水質は優れもので、一定の薬用効果もあるという。

 

群滝溝 群滝溝に滝続きで、重ね合わせる。上から見下ろすと、滝は一気に千丈の淵まで流れ落ちて行く。下から見上げると、滝は空から飛び出し、壮観な山水画となる。

 

ここでは、歩きながら景色を見ることができる。水を好む方は、水際にある平らの石に上り、この滝の水を掬い上げて、飲んだり楽しんだりして、水の趣を存分に楽しむといい。もう一度注意するが、足元にご注意を!

 

後静宮 ここは後静宮だ。ここまで歩いて来て、道端に林立している功德碑をご覧になったはずだ。それは、近年の参拝者達が後静宮を建て直すために寄付した金額の記録だ。後静宮は東漢に創建された。言い伝えでは、劉秀は九蓮山にいた時、王莽の追っ手から逃れるために、山の上で二日も食事に有り付かなかった。後静宮に辿り着いた時、お腹が空いてぶっ倒れた彼は、ある白髪のお婆さんに発見された。彼女は自分のために用意した菜米飯を一口ずつ劉秀の口に運んだ。美味くて香ばしい菜米飯を食べた劉秀は、間も無く目覚めた。みすぼらしい洞窟に住み、無一文なのに、残り僅かの飯で自分を助けたお婆さんを見て、劉秀は感謝の気持ちでいっぱいだ。のち、劉秀はこの地で院落を建て、後静院と名付け、お婆さんの余生を送る場所にした。お婆さんが亡くなった後、地元の百姓は院落を廟に建て変え、後静宮と名付けた。言い伝えでは、劉秀が晩年の時にお婆さんの作った菜米飯を食べにわざわざいらしたことで、菜米飯という料理は今まで継承され、地元では「劉秀菜米飯」と呼ばれている。言い伝えでは、清の順治帝も出家した後、後静宮に来たことがあるそうだ。あの時、順治帝は我慢ならないほどお腹が空いていたが、あるお婆さんが劉秀菜米飯を作ってくれたお陰で生き延びたという。その後、順治帝は後静宮のために、「見ざるして求めに応じ、聞ざるして縋りに答える。」と揮毫した。

 

九蓮山には、

「菜米飯、美味くて香ばしい。野菜人参一鍋して汁にする。

劉秀は食べて皇帝になる。百姓は食べて飢えを凌ぐ。」と言う民謡がある。

 

今や「劉秀菜米飯」は九蓮山のお勧め料理になった。後で皆さんも「劉秀菜米飯」を召し上がって、嘗て2代の皇帝がお腹の空いた時に食べていた菜米飯の美味さをご堪能ください。

 

今の後静宮は四進の院落で、近年修復された物だ。元の廟宇は広大だったが、「剿後宮」という風水を奪い合う争いで、完全に破壊された。山西省の陵川は三年連続の旱魃で、農作物の収穫が全くなく、人がたくさん飢え死にしたある年、陵川槍会の頭領・李恒文に招かれて風水を見た所、後静宮の山頂は龍脉の合流する地で、その全ての源は後静宮の泉にあり、泉の水は河南に昼夜流れ続けているため、まったく山西に流れなくなったと風水の先生達は結論付けた。すると、「雲見たくば風を吹かせ、降雨欲しくば後宮を剿す。」と言い出した李恒文は、数千人を率い、一夜の時でこの辺りの山を占領した後、後静宮を占領し、廟宇を全部撤去したが、山頂の泉水の流れを変えることができずに、山西に給水することができなかった。

 

その後、九蓮山の麓に住む民衆と参拝者達は、郷紳・邢如龍を推挙して山西の方と訴訟を起こし、三年かけて、終にこの両省で有名な風水争いに勝って、後静宮を取り返した。

 

石楡坡 この林は、地元の人が言う「石楡坡」だ。ここの楡の木が年数が経って、石のように硬いため、その名を得た。

 

蒼龍脱殻 ここで先ず目にするのは、天然の青色の鍾乳石の石壁が長年水に流されてできた「蒼龍脱殻」と呼ばれるこの変てこな形だ。雨季になると、その中から泉の水が流れ出て、殻を抜け出した蒼い龍のごとく、大きな響きを出しながら、地下水流に流れ込むため、「響泉」と呼ばれている。この蒼龍脱殻の先に、太和台の上にある寺廟と、寺廟の真正面にある「祈福樹」が見える。ここの法物流通処で「福条」を買い、その上に願い言葉を書き、樹齢千年の古松に結んで、古木を見届け人に立てば、吉祥と諸願成就をご加護してくれる。三皇殿で「游客投放功德箱」※賽銭箱に賽銭を投げ込めば、平安吉祥をご加護してくれる「開光護身符」が贈呈される。創建資金を寄付したら、一対の「福牌」が贈呈される。様々な祝福と素敵な願いをそのうちの1枚に書き込んで殿内に掛け、「福の帯びた」もう1枚を持ち帰るといい。

 

錬石灘 前方の崖側の山道を沿って行けば山西省に入る。これからは下山する。歩道を沿って天門まで行くには、錬石灘を通ることになる。錬石灘には赤岩が一面に広がる。言い伝えでは、女媧娘娘は共工に突き崩された天を補修するために、5色の石を36500枚錬ったという。そして、今ご覧になっているのは、女媧娘娘が天を補修した後残された砕石と言い伝えられている。

 

天門 この後静宮の真正面にある場所が、大迫力の天門になる。2座の切り立つ山は上から下までの一本の線を隔て、遠くから見ると、天を挟んで門に見えるため、「天門」と呼ばれている。


八里溝観光エリアからのお願い
チケット予約案内

有効期限: 電子チケットは1週間

予約説明:毎日08:00-18:00入場することができる。

購入時間:当日の8:00以前にご購入ください。8:00過ぎご購入された方は、4時間後の入場となる。

使用方法:QRコードでチケットを発行してもらってから、入場する。

発行時間:08:00-18:00

受渡場所:観光エリアのチケット売り場にて

入場地点:河南省新郷市輝県市上八里鎮松樹坪村観光エリア入り口

その他の注意事項

A.無料政策:身長1.4m未満の子供は、入場料無料。70歳以上の関連証明書を持つ高齢者は、入場料無料。軍官証を持つ現役軍人、並びに関連証明書を持つ身体障害者と新聞記者(国家新聞出版総署が認証した記者証を持つ)は、入場料無料。

B.優待政策:大中専院校の在校学生や留学生、60歳-70歳の高齢者(離休幹部を含む)は、身分証明書で観光エリアにて優待券を購入することができる。

安全

旅に出かける際、固形食と水と運動靴をお持ちください。随時天気予報に気を配ること。夏場に登山している時に汗が出る。水分を十分に補給しなければ、熱中症になり易いため、十分の水を持参すること。両手を安全保障に使えるように手提げ鞄を使わずに、リュックを使ってください。歩く時に景色を見ず、景色を見る時に歩かず、見所を見逃さず、普通の景色に執着しないこと。不慮の事故に備えて、険しいスポットや崖の傍で写真を撮らないでください。

旅に出かける際、雨具をご用意ください。旅途中のホテルにチェックインした後、適切に貴重品を管理すること。

観光シーズンで観光用レストランで食事をする時に、観光客が大勢いるため、手荷物の管理を怠らずに、安全にご注意ください。

遊覧船に乗る場合、安全にご注意ください、特に子供連れの観光客は、お子さんから目を離さないでください。

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