壁掛道路・トンネル

オープン時間:AM8:00—PM6:00

所属の景勝地:回龍遊覧エリア

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主要なスポット:

紅門村 大黒山回龍村(回龍廟)龍吟峡獼猴※アカゲザル楽園
0373-6699201
観光地の展示

老爺とは、道教の開祖である太上老君に対する尊称だ。老爺頂は、開祖の祭られる「玄武廟」が山頂に建てられたことで、その名を得た。

 

昔、老爺頂へ通じる細い山道は非常に歩きづらく、片側は千仞の絶壁、反対側は百丈の深淵で、少しでも気を緩めば、深い谷に落ちてしまう恐れがあった。この聞くだけでギョッとする険しい小道は、2000年に終に歴史となった。昔の天険は平坦の道路に生まれ変わったからだ。今やこの道路は既に「赤い絆」となり、刻苦創業の教育基地となっている。

 

紅門村 大黒山 今車窓から見える村は回龍村にある自然村で、「紅門村」という。言い伝えでは、修行のために天界山に入った道教の開祖・太上老君は、連続の山越えで疲れ果てた時に、地元の誰もいない小寺に辿り着いた。目の前にある連なる高い山や、険しい道を見て、怖気付き、それ以上進む気にならず、ここに留まって修行しようと考えた。それを知った玉皇大帝は、開祖を山頂へ攀じ登らせるために、火神を天下りさせて寺を燃やした。仕方のない開祖は進む他なかった。村はこのことで紅門という名を得た。今の紅門村はすでに有名なテレビ・映画村になっている。『好父好母』、『高路入雲』、『天高地厚』といったテレビドラマは、ここをロケ地にしていた。紅門村の奇山秀水は、倪萍や朱媛媛といった有名な俳優や、沈好放監督に絶賛された。私の指差すあの高い山を御覧ください。山全体が真っ黒で、「大黒山」と呼ばれている。その名は「火焼紅門」の伝説と関係がある。あの時、炎が山頂までに広がり、山林全体が燃え上がって、山を真っ黒に燃やしたため、大黒山と名付けられたのだ。

 

回龍村(回龍廟) 前方の村が回龍村だ。地元ではとても伝奇的な物語が伝えられている。その昔、この近くにある暖窯で修行する開祖は、いつ悟りが開かれるかも分からずに、時が経つに連れて嫌気が指し、還俗しようと考えた。家に帰る途中、回龍村を通った彼は、お婆さんが道端の赤い岩で鉄棒を磨いているのを見て、妙に思ったため、その訳を聞くことにした。「娘は嫁ぐのに、刺繍針を欲しがっている」とお婆さんは言う。「こんな太い鉄棒は、どれだけ磨いたら針になれるのですか?」と開祖は尋ねる。お婆さんは、「天下に難事なく、鉄棒も針に磨ける」と言ってから姿を消した。目から鱗が落ちた開祖は、これは「修行の時、寂しさに耐えねば、確たる信念と真心を持たねば」という観音菩薩からの啓示だと分かった。そして、戻って修行を続けることにした彼は、終に悟りが開かれ仙人となった。回龍村もこのことで名を得た。

 

のち、地元の百姓は開祖を記念するために、河の対岸で回龍廟を建てた。村も廟に因んで「回龍村」と名付けられた。20世紀の末、回龍の村人は回龍村党支部書記・張栄鎖の指導の下で、山を切り開いて道路を造り、創業して富を築き、全国に名を知られた。その後、幾つもの回龍精神を反映するドラマがここで撮影され、回龍村も有名な「テレビ・映画村」になっている。

 

龍吟峡 道路の右側にある大峡谷は、「龍吟峡」という。峡谷の中に大きな滝があり、高い九峰山から真っ直ぐ谷に流れ落ちる滝の形が龍の口に見えて、轟く音が雷のように聞こえるため、その名を得た。龍吟峡の奥行きは4000メートル余りで、「人」の形した2本の谷からなる。峡谷の中に滝、潭、泉、渓といった水の粋が揃い、最後に川となって、古い石門河に流れ込む。

 

観光アリアの優れた水資源は、数多くの植物を育て上げた。薬用植物だけで1017種類にも上る。その中でも「紫団参」がよく知られている。紫団参は党参とも呼ばれ、幅広い用途に使われている。その根っこを薬にしたら、効き方が穏やかで味が甘く、脾臓と胃の養生になる。記載によると、嘗て唐、宋、元の時に、紫団参は宮廷への貢物だったという。

 

北宋の文学者・蘇軾は、『紫団参』という詩を作った。

谷芽土門口、突兀太行頂。

豈謂紫団雲、実自俯倒影。

剛風被草木、真気入苕穎。

旧為人銜芝、生此羊腸嶺。

 

更に、有名な科学者・沈括は『夢渓笔談』で、宰相・王安石が紫団参の贈り物を拒否したという心の打たれる物語まで記載している。

 

王荊公は病で咳止まらず、薬に紫団参が必要だが、手に入らない。時に、薛師政は河東から帰り、丁度持っているため、公に数両贈呈したが、拒否された。ある者は、「公の病、この薬をなくして治らない。病が深刻ゆえ、薬まで断らずとも良い。」と公に忠告するが、「紫団参なくても、今まで生きてきた」と公は言って、結局受け取らなかった。

 

贈り物を断った王安石の清廉で真っ直ぐな貴い品性と、紫団参の貴重さが相まって映えて、この物語は末長く伝えられている。

 

龍吟峡の中には、雪を溶かし真冬でも凍りつかない奇石がある。太行に雪が積もる冬にも雪氷を寄せつかないため、暖翁石と呼ばれているこの石は、太行山が育んだ摩訶不思議で、他の観光エリアでは見ることができない。

 

獼猴※アカゲザル楽園 太行山のアカゲザルは国家二級保護動物だ。八里溝観光エリアのアカゲザルは世界で最も北に分布されるアカゲザルの群れで、高い経済的価値、保護価値、科学実験の価値を有する。この保護区は世界自然保護基金に、中国と世界にとって重要な意義を持つA級保護区域と認定されている。保護区の山が険しくて、林が茂り、清泉が湧き出て、アカゲザルはいつも群れを成してそこに出没している。今や、数十匹から百匹以上のアカゲザルの群れは、4つか5つある。アカゲザルたちは活発に動き、追っかけて戯れたり、飛び跳ねて競い合ったりすることが好きだ。群れ毎にリーダがいて、それぞれの縄張りがある。行動の時、見張り猿は前に、老・幼・メス猿は中央に、力のある猿とオス猿は回りで護衛し、お互いに応援する。餌を探す時や休憩する時、見張り猿は高所で警戒し、何かあるとすぐ大きい声を挙げる。それを聞いた猿の群は、すぐ安全な場所へ移動する。観賞しやすいために、山の上にアカゲザルが百匹近く飼われ、普段は山間部に放し飼いされている。お腹の空いたアカゲザルは笛の音が聞こえると、一斉に下山し、玉蜀黍や落花生を奪い合う。その仕草は滑稽で面白く、なかなか観光客に喜ばれている。

 

暖窯 車窓越しに、前方の右側を御覧なさい。高さ100メートルの崖下に、「暖窯」という大きな石龕がある。なぜ暖窯と名付けられただろう?石龕が風上に背を向け、太陽に面しているため、冬は暖かく夏は涼しい。石龕の中に廟があって、祖師廟という。言い伝えでは、その昔、開祖はここで42年間修行した後、悟りが開かれて仙人になったという。ここには、遺跡や面白い伝説がたくさん残されている。後ほどご紹介しよう。

 

更に先へ進むと、壁掛道路・トンネルになる。身の安全のために、頭や手を窓の外に出さないでください。

 

壁掛道路・トンネル  この道路・トンネルを見たら、再び張栄鎖の話が出てくる。1993年に回龍村党支部書記に就任して以来、張栄鎖は村人を率いて果樹を植え、シイタケを栽培し、石材工場を立ち上げ、村人を貧乏人からお金持ちにした。電柱を架設し、道路を舗装し、住宅を建てて、回龍村に天地をもひっくり返すような変化をもたらした。このことで、回龍村は全国の新農村建設の模範村となった。

 

彼の指導の下、回龍の人々は三年余り血が滲むほど奮戦した末、飛ぶ巨龍のような壁掛道路を造り出した。道路は清峰関に始まり、磨針河に終わり、13の山峰を通り、全長8キロも及び、長さ1000メートルのS型トンネルが高さ200メートルの赤岩絶壁を回りながら上っていく。そのハードルの高さや設計の巧さは想像を絶する。10センチの深さを開ける度、鉄杭を焼き入れ直すことになる。深さ10センチの発破孔を開けるのに、重さ8ポンドの鉄槌で4000回叩かなければならない。このトンネルを掘削するのに、発破孔を幾つ開けたか、鉄槌を何回振り下ろしたかは、統計のできない天文学的数字になる。トンネルの着工前に、専門の設計事務所に設計してもらうつもりだったが、設計費だけで20万元もすることが分かった。これは当時の貧しい山村にとって大金であった。張栄鎖は軍隊で工程兵を勤めた時に身につけた測量と製図の技術を元に、更なる勉強と研究を重ねた上、30数回も生死を度外視して宙に吊られたまま位置測定を行い、終に一銭も使わずに工事施工図を作成した。一方、時間を節約するため、回龍村で働ける者は全員出動し、崖の上に発破孔を開け、基盤を造り、多方面から同時進行し、僅か3年余りで道路もトンネルも完成させた。

 

清峰関 この場所は清峰関広場という。なぜ「清峰関」と名づけられたかと言うと、ここは河南省と山西省を繋ぐ関所であるからだ。少し北へ行くと、山西省に入る。昔、ここは地勢が険しく、難攻不落で、従来兵家にとって必争の地である。抗日戦争の時、国民党第一戦区第8独立支隊は、東溝と西溝の間にある「母豚嶺」という山頂で日本軍を伏撃し、敵を400人余り殲滅して、「母豚嶺の大捷」を収めた。また、関所は、青峰巍という別名を持つ老爺頂の麓にあるため、その山に因んで「青峰関」と名づけられた。最初、「清峰関」の「青」に水辺がなかった。では、なぜ後に水辺をつけられただろう?そこにこんな訳があった。民国25年、即ち1936年、青峰关は日本軍に砲撃されて破壊した。臨淇出身の徐東吉は資金を集めて修復に取り込んだ。修復後、彼は長男の徐営皆に関所名を書かせる。流水をこよなく愛する徐営皆は、ここは仙人になった開祖の修行していた清い聖地だと考え、わざわざ「青」に水辺をつけたため、「青峰関」が「清峰関」になった。

 

手摺りに近づいて下をご覧ください。あのカーブ続きの山道が、我々は通ったばかりの「通天路」だ。この道は、くねくねしながら昇っていく巨龍のようで、なんと壮観であろう!そしてあちらをご覧ください。今でもあの崖の上に一部残されている山道は、昔の「老爺梯」だ。崖にぶら下がっているようで、元の道はいかに険しかったか想像できる。でも、その道は歴史的遺跡として永遠に残されることになっている。

 

碑廊 ここは清峰関の碑廊だ。碑廊には、回龍人の500年余りの道造りの歴史を正確に記載されている。碑文内容の主な梗概をご紹介しよう。

 

1、『祖師廟再建記』

 

この碑は明朝万歴9年、即ち1579年に立てられた。立てた元の場所は暖窯で、即ち開祖の修行していた所だ。碑文の大筋は、「輝県の西に紫団巍という高くて険しい山があり、山頂に祖師廟がある。言い伝えでは、開祖はここで修行して悟りが開かれた後、武当山に行ってしまわれた。お参りに来る信者が後を絶たないが、道がなかったため、山登りはとても困難だった。大明永楽初年、人々は、道造りが難し過ぎる事を考慮して、開祖にお参りする信者の便利を図るために、人々はこぞってお金を寄付し、暖窯で祖師廟を再建することにした。」というものだ。この碑は、人々の道に対する渇望と、山頂を仰いで嘆く無力さを正確に記載している。

 

2、『紫団巍での一天門、関公廟創建記』

 

この碑は明朝万歴26年、即ち1596年に立てられた。碑文の大筋は、「明朝の時に、李戴という吏部尚書がいた。子供の時から輝県の蘇門山で勉強していた彼は、西太行山脈を遊覧したことがあり、そこの景色に夢中だった。そして、都で任官していた期間中、子供頃の旅の楽しみを思い出して気持ちが高ぶった彼は、自ら俸禄を出し、紫団巍の山頂にある住所をその書僮に買い与えた。再度の遊覧を夢見る彼だが、公務に追われて、ずっと暇がなかった。明朝万歴26年、勅命を受け、公務のために古さとに返った彼は、暇を割いて縁の地を再度旅した。ここの独特な山峰や切り立つ絶壁、ゆっくりと山頂を通っていく紫色の雲を見た彼は、この名所を宇宙の一大景観と讃えたが、この山には、壮年者でさえ数回休んだ末、ようやく猿の格好で登って来られる一本の狭い鳥道しかなく、その宙吊り階段は蜀道を歩くよりも難しかった。百姓の便利を図るために、彼は新郷の郭仲挙や杜默然といった徳が高く人望も篤い郷紳に呼び掛け、百姓達を召集して宙吊り階段を改造し、一天門、関公廟、茶屋を3ヶ所建てることにした。そして、一年足らずで完成した。大いに喜んだ李戴は、百姓達の要望に応じて欣然と撰文立碑し、後人に善行を沢山するようにと励んだ。」というものだ。

 

3、『北頂昇降階段再建記』

 

この碑は咸豊元年、即ち1851年の陰暦二月九日に立てられた。碑文の大筋は、「輝県の北西の太行山の山奥に北頂という高い峰がある。その上に建てられている真武聖祠は、長い歴史的文化を有する。しかし、その山頂に登るのに一本の狭い道しかなく、小道が狭くて非常に危ないため、山を登るのにとても大変である。明の少保・李戴が空中階段を作り直したお陰で、人々はようやく山に登ることができた。あれから300余年経った今、すでに関公廟は倒壊し、石階段は損壊し、登山して遊覧したがる人は大勢いるが、懸崖絶壁を見上げて嘆くことしかできない。輝県の郭金と陵川県の郎永和は、人々に寄付を呼び掛け、空中階段を作り直すことにした。今や完成した暁に、立碑撰文して、よく善行をするよう後人に勧める。人の一生で、善行をすることが最も大事だ。」というものだ。

 

4、『伝流后世碑』

 

この碑は咸豊元年、即ち1851年の陰暦七月八日に立てられた。民間の職人は早口言葉で、「兄弟三人がいて、1200文を寄付し、弟子を4人率い、師弟7人で階段造りに来た。陰暦の二月八日から七月八日まで亘って階段を造ったが、余りにも難しかったため、完成せずに山を下りた。下山の時に、後人に笑われるのを恐れて、少し愚痴の刻まれたこの小さい石碑を立て、後人に道造りの大変さを伝えた。」という北頂昇降階段の造る期間と経緯を書き残した。碑文の中から、この者達が苦労して階段を造る時に、口に出して言い難い話を垣間見ることができる。

 

これより前に、沢山の有識者は道造りに努力を重ね、全力を尽くしたが、幅が二尺余りの「老爺天梯」※老爺頂に登る空中階段を造ることしかできなかった。20世紀の末に、回龍人民がこの壁掛道路を切り開いたことで、ようやくこの歴史的難題を解決した。この数通の石碑は、崖の上に住む人々が道路の開通した後、村の党支部と委員会に感謝して立てたものだ。碑文から、言葉では言い表せない回龍村の百姓達の感激の気持ちが読み取れる。


八里溝観光エリアからのお願い
チケット予約案内

有効期限: 電子チケットは1週間

予約説明:毎日08:00-18:00入場することができる。

購入時間:当日の8:00以前にご購入ください。8:00過ぎご購入された方は、4時間後の入場となる。

使用方法:QRコードでチケットを発行してもらってから、入場する。

発行時間:08:00-18:00

受渡場所:観光エリアのチケット売り場にて

入場地点:河南省新郷市輝県市上八里鎮松樹坪村観光エリア入り口

その他の注意事項

A.無料政策:身長1.4m未満の子供は、入場料無料。70歳以上の関連証明書を持つ高齢者は、入場料無料。軍官証を持つ現役軍人、並びに関連証明書を持つ身体障害者と新聞記者(国家新聞出版総署が認証した記者証を持つ)は、入場料無料。

B.優待政策:大中専院校の在校学生や留学生、60歳-70歳の高齢者(離休幹部を含む)は、身分証明書で観光エリアにて優待券を購入することができる。

安全

旅に出かける際、固形食と水と運動靴をお持ちください。随時天気予報に気を配ること。夏場に登山している時に汗が出る。水分を十分に補給しなければ、熱中症になり易いため、十分の水を持参すること。両手を安全保障に使えるように手提げ鞄を使わずに、リュックを使ってください。歩く時に景色を見ず、景色を見る時に歩かず、見所を見逃さず、普通の景色に執着しないこと。不慮の事故に備えて、険しいスポットや崖の傍で写真を撮らないでください。

旅に出かける際、雨具をご用意ください。旅途中のホテルにチェックインした後、適切に貴重品を管理すること。

観光シーズンで観光用レストランで食事をする時に、観光客が大勢いるため、手荷物の管理を怠らずに、安全にご注意ください。

遊覧船に乗る場合、安全にご注意ください、特に子供連れの観光客は、お子さんから目を離さないでください。

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