清峰関は、河南省と山西省を繋ぐ関所であるからだ。少し北へ行くと、山西省に入る。昔、ここは地勢が険しく、難攻不落で、従来兵家にとって必争の地である。抗日戦争の時、国民党第一戦区第8独立支隊は、東溝と西溝の間にある「母豚嶺」という山頂で日本軍を伏撃し、敵を400人余り殲滅して、「母豚嶺の大捷」を収めた。また、関所は、青峰巍という別名を持つ老爺頂の麓にあるため、その山に因んで「青峰関」と名づけられた。最初、「清峰関」の「青」に水辺がなかった。では、なぜ後に水辺をつけられただろう?そこにこんな訳があった。民国25年、即ち1936年、青峰关は日本軍に砲撃されて破壊した。臨淇出身の徐東吉は資金を集めて修復に取り込んだ。修復後、彼は長男の徐営皆に関所名を書かせる。流水をこよなく愛する徐営皆は、ここは仙人になった開祖の修行していた清い聖地だと考え、わざわざ「青」に水辺をつけたため、「青峰関」が「清峰関」になったという。