抱犢橋、将軍潭、抱犢川の滝
発表時間:2018-06-26   閲覧量:732

言い伝えでは、東漢の開国皇帝・劉秀の下の大将軍・馬武は、少年の時に仇敵から逃れるために、此処に隠居し、毎日川の向こうへ行き、放牧して暮らしていたそうだ。ある日、一頭の小牛が生まれた。心優しい馬武は、子牛が激流に流されるのを心配して、毎日小牛を抱いて川を渡っていた。知らず知らずに、小牛が大きくなったが、相変わらず子牛を抱いて川を渡り続ける馬武は、自ずと強い力を身につけた。その後、馬武は劉秀に付いて南征北戦へ、汗馬の労を立てて東漢中興の名将となった。

栄光の帰郷を遂げた馬武は、子供頃に牛を抱いて川渡りしていた苦労を思い出し、出資してこの橋を建てた。後人は馬武抱犢というエピソードを偲んで、この橋を「抱犢橋」と名付け、橋の袂で「馬武抱犢」像まで立てた。今の橋は1996年に改装したものだ。

橋下の潭は将軍潭と言う。地元には、子供が生まれると、ここの水で子供の体を洗うという習わしがある。これには、子供が馬武のように、丈夫に成長して欲しいという願いが込められている。


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